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お久しぶりのラビミラ。いや、お話自体が久しぶり。
ちょっとだけ神田くんも出てきます。
そして、いつも拍手ありがとうございます!
今宵月の見える丘で
遠く霞む街の明かりを背後に従え、切り立った崖の上にたたずむ人影。目にした瞬間、身がすくむのはいつものこと。
目をそらさないようミランダは首とこめかみに力をこめる。卑屈な態度は相手を不愉快にさせるだけとこれまでの経験から学んでいる。
自分の来訪に気づきながら、背を向けたまま視線を遠くへと投げる年下の先輩へと用事を告げる。少し前なら空とぶ通信機である便利なゴーレムがしてくれたことを、今はエクソシストがするようになった。
「神田くん、コムイさんが呼んでましたよ」
声が震えないかと心配していたが、きちんと伝えられたことにミランダは安堵した。神田に限って用件を聞き逃すことはない。そのまま踵を返そうとした彼女に、予想外の声がかかった。
「月がきれいだな」
神田以外でこの場にいるのはミランダだけ。ということは、これは自分へ向けられた言葉だろうか。しばし動きを止めた彼女は青年の視線を追って顔を上げる。漆黒の空にかぎ爪のような細い月がかかっている。同意の声は自然に漏れた。
が、返ってきたのは意外な答え。
「本当に…きれいな月…………」
「そうかもな」
「?」
どういうことだろう。
思わず黒髪のエクソシストを見つめてしまった。さっき月がきれいだと言ったのは神田自身なのに。背を向けたまま、闇の中一人立つ青年の姿は頭上の月に似ている。
首をかしげつつ、再び顔を上げる。細くとがった三日月はミランダの疑問に答えない。
しばしそのまま立っていたミランダは、自分の名を呼ぶ元気な声に勢いよく振り返った。浮かぶ笑顔はおさえようがない。走り寄ってきた青年は、手が届く位置まで来るが早いか長い指でミランダの頬に触れた。
「ミランダー! 何してるん……って冷た! どしたん?」
「え? ああ、月がきれいって神田くんに教えてもらってそれで……あら?」
話しながら視線をめぐらすと、先程まで黒髪の同僚が立っていた場所は空っぽだった。首をかしげて視線を戻すと、オレンジ髪の青年が頭を抱えてしゃがみこんでいた。
慌ててミランダも膝をつく。すると、ラビが頭を抱えていた腕をほどいて顔を上げた。
「ユウが? 月がきれいって? ミランダに?」
「ええ」
矢継ぎ早の質問に頷くと、ラビの眉尻がこれ以上は無理と思われるほど垂れ下がりまた頭を抱えてしまった。ブツブツとなにごとか呟いているが、声が小さい上にドイツ語でも英語でもないのでミランダには聞き取れない。
辛抱強く待つことしばし、そろそろ大丈夫かと声をかけてみる。果たせるかな、目の前の青年から反応があった。
「ラビくん?」
「あのさ、オレたちのいるのって仮想19世紀末ロンドンじゃん?」
「カソウ?」
が、それは彼女の予想とかなり違う。この博識すぎる未来のブックマンは、時々ミランダの理解できない言葉を口にする。疑問ばかりの彼女をよそに、ラビは次々と不可解な言葉を連ねていく。
「だから、この世界の日本に夏目漱石がいるとは限らないし、居たとしたって人口の九割がAKUMAな日本で英語の翻訳の仕事してるとは限らないし、もししてたとしたって現実と仮想じゃ感じ方は違うと思うんだけどさ、どう思う?」
どう思うも何も、相手の言ってることがさっぱり分からないのに答えようがない。素直にその旨を相手に告げる。
「そうだよな、キチンとオレの知ってること教えてやんなきゃフェアじゃねえよな。うーん、でもな~、言いたくないんだよなあ。教えたくないっていうか、別に教える義務はないし、でもうーん」
あまりに沢山のことを知りすぎている彼は、こういうことがままある。ミランダのあずかり知らないところで頭をひねって難しく考えすぎてしまうのだ。
昔だったらミランダも一緒になって頭を抱えていたかもしれないが、今は違う。彼が望むのは、彼女ができるのは、そんなことではない。
「それじゃ、言わなくていいわ。ラビくんが言いたくなった時に教えてちょうだい。ラビくんがそんなに悩むことを私が知ってもどうしようもないと思うから」
「いやでもそれはフェアじゃないんさ」
「何が?」
「……ユウとミランダに対して」
「そうかしら?」
まっすぐラビの隻眼を見つめ返して、冷たい月の光を受けてなお温かそうな相手の頭に手を伸ばす。サラサラと指通りのよい髪に触れ何度かなでているうちに、上下左右にさ迷っていた緑の瞳が一つ所に落ち着いた。何かが吹っ切れたようだ、ミランダの指に自分の指を絡めて、まっすぐこちらへ向き直った。
「あのさ、こことは違う日本の明治時代にね、夏目漱石って偉い小説家がいたんさ」
「ラビくんは本当に何でも知ってるのね。でもこことは違う日本てどこ?」
「その夏目漱石がさ、ある英語の一文を『月がきれいですね』って訳したんさ」
「そうなの。私だったら絶対に無理ね、日本語を知らないもの」
「でもさ、ユウは日本人の血が流れてるって話だろ? だからもしかしたらミランダにそう言ったってことはつまり、その日本語が言いたかったのかなあとか、いやでもそんなまさか……」
「えぇっと、じゃあ日本人が『月がきれいですね』って言うのは月がきれい以外の意味があるの?」
「あるような、ないような」
「じゃぁこの前、神田くんがマリさんにそう言ってのはそれが言いたかったのかしら?」
「……それホントかさ、ミランダ? 本当にマリにも言ったん? ユウが?」
いきなりの詰問に、ミランダは訳がわからないまま頷く。
たしか半月くらい前のこと。目の見えない兄弟子へ、不器用な優しさを持ち合わせた青年がぶっきらぼうな口調で、日に日に丸くなっていく月のことを話していた。それはきれいだろうなと聞いたマリに、神田もそうだなと応じていたのだ。
「そっかそっか、マリにも言ってたか! じゃ、オレの考えすぎなんさね。あーよかった!」
言うが早いか、ラビはミランダを抱きよせ地面に座り込んだ。首まで赤く染めてもがく彼女をしっかりと胸の中に囲い込んだ青年は、彼女の耳元に口を寄せ一言だけ囁いた。
「月がきれいさね、ミランダ」
今夜はこればかりと思うものの、ミランダ自身これ以外の言葉が浮かばない。同じ言葉をくり返す。
「月がきれいね、ラビくん」
ラビの腕がゆるんだ。ミランダは顔をあげ、互いの顔を見つめ合う。ゆっくりと二人の顔が近づいていく。か細い月の光はものの形をはっきりと浮かび上がらせるのではなく、あいまいな影の中に全てを沈め眠らせるためのもののようだ。
そして、今宵彼らを照らすのは微かな月の光だけ。
「月が」
二つの影が重なり合い、二人の囁きはそこで途切れた。
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